ブラジル、「家族」だった女性が75年後に救出された
同じ家で暮らし、家事をし、世代をまたいで生活してきた。それでも当局は「家族」ではなく、奴隷状態に類する労働だったと判断した。境界線はどこにあるのか。

同じ家で暮らし、家事をし、世代をまたいで生活してきた。それでも当局は「家族」ではなく、奴隷状態に類する労働だったと判断した。境界線はどこにあるのか。
75年間、同じ家にいた。それでも「家族」ではなかった
「ずっと一緒に暮らしてきたのだから、家族のようなものだった」。
そんな説明を聞けば、長年住み込みで家事をしてきた人と雇い主の関係を、温かいものだと想像するかもしれない。
ところが2026年8月、ブラジルのベロオリゾンテで、90歳と65歳の女性が、同じ家族のもとでそれぞれ約75年、約60年にわたり働いた末、当局に救出された。掃除、買い物、食事づくりを日曜日まで行い、正式な雇用登録や通常の労働者としての権利がなかったと報じられている。
雇い主側は、2人を「家族として扱っていた」と説明した。しかし労働当局は、その説明を退けた。
なぜか。ここからが、この事件の本当に意外な部分だ。
当局が見たのは、呼び方ではなく、「その家の本当の家族と同じ人生の選択肢を持てていたか」だった。
ブラジルでいう「奴隷状態」は、鎖につながれることだけではない
日本語で「奴隷」と聞くと、逃げようとすれば暴力を受ける、監禁される、鎖につながれる、といった極端な場面を思い浮かべやすい。
しかしブラジルの刑法が定める「奴隷状態に類する労働」は、それだけではない。強制労働に加え、極端に長い労働時間、尊厳を損なう劣悪な労働条件、借金による移動制限なども、単独で該当しうる。
つまり、「玄関の鍵が開いていたか」だけで判断する制度ではない。
特に住み込みの家事労働では、仕事場と生活空間が同じになる。食事や住居を与えられていても、それが賃金や休息、外部とのつながり、人生を自分で決める機会の代わりになっていれば、表面上の「同居」だけでは関係を説明できない。
ブラジル政府は、社会との接触を制限されたり、休暇や週休を持てなかったりする状態も、強制労働や過酷な労働の判断に関わりうると説明している。
当局が見たのは「給料」だけではなく、人生の選択肢だった
ベロオリゾンテの事件で、雇い主側が「家族だった」と主張したことに対し、当局が確認したと報じられている項目が興味深い。
2人は、その家の他の家族と同じように教育を受ける機会があったのか。社会生活を送れたのか。自分自身の人生を組み立てる自由があったのか。そして、家族なら通常ありうる財産や相続上の権利があったのか。
当局は、そうした平等な機会や自律性、財産・相続上の権利が確認できなかったとして、「家族」という説明を認めなかった。
ここに第二の驚きがある。
問題は単に「給料を払っていなかった」ことではない。「家族」と呼びながら、一方だけが何十年も家事を担い、教育、財産、仕事、外の人間関係といった人生の選択肢を持てないなら、その言葉は保護ではなく、労働関係を見えなくする覆いにもなりうる。
家族か労働者かは、親しさの言葉だけでは決まらない。
しかも、これは一軒の異常な家だけの話ではない
2026年8月にブラジル全土で行われた「Operação Resgate VI」では、231件の監査で479人が奴隷状態に類する労働から救出された。75人が女性、13人が子ども・若者、66人が外国出身の移民だった。
多くは農業や建設現場だったが、家事労働でも14の雇い主が調査され、9人が救出された。
別のサンパウロの事件では、51歳の女性が10歳から同じ家に住み、11歳ごろから約40年間、家事や家族の世話を担っていた。正式な雇用登録はなく、定期的な給与も受け取っていなかったと労働省は発表している。
家の中で起きる労働は、農場や工場より外から見えにくい。住み込みなら、本人にとっても「家族の手伝い」と「仕事」の境界が長い時間の中で曖昧になる。
だからこそ、発見まで何十年もかかるケースが生まれる。
「家族みたい」は、なぜこんなに強い言葉になるのか
ブラジルの家事労働には、植民地時代と奴隷制の歴史、そして人種・ジェンダー・所得の格差が重なっている。
2026年に政府が公表した統計では、2024年時点で家事労働者は約590万人。その92.2%が女性で、女性家事労働者の67.9%は黒人または褐色人種として分類される人々だった。さらに75.9%が非公式雇用だった。
もちろん、非公式雇用だから即座に奴隷状態というわけではない。この2つを同一視してはいけない。
ただ、雇用契約がなく、仕事場が個人宅の中にあり、雇い主に住居や食事まで依存していると、「働く人」と「家族の一員」の境界は曖昧になりやすい。
そして「家族みたいに大切にしている」という言葉は、一見すると優しい。だからこそ、給与、休み、契約、財産、自由といった具体的な権利の話を見えにくくする場合がある。
親しさと権利は、交換できない
ブラジルでは2013年の憲法改正と2015年の法律によって、家事労働者にも最低賃金、労働時間、休暇、社会保障、失業保険など多くの権利が明確化された。
それでも2026年の一斉監査で、家の中から9人が救出された。
今回の事件が突きつけるのは、「悪い雇い主を見つけよう」という話だけではない。
人間関係が近いほど、労働の境界はむしろ見えにくくなることがある。住む場所を与える。食事を一緒にする。子どものころから知っている。「家族」と呼ぶ。どれも、それ自体は搾取の証拠ではない。
でも、それらは給与や休息、教育、財産、自分の時間、外との関係を持つ権利の代わりにはならない。
75年という時間よりも、この事件で覚えておきたいのはそこかもしれない。
誰かを「家族のように」扱うことと、その人に家族と同じ選択肢を与えることは、同じではない。
おすすめの記事
一覧を見る
ARTICLE · 約5分
アルメニア、自然のDNAを使う企業の基金に集まったのは7,085ドル
生き物を持ち帰らなくても、DNAの情報で研究や製品開発ができる。自然への利益還元を目指す基金が、なぜほとんど空のままなのか。

ARTICLE · 約5分
イエメン、水道を止めるのは「水不足」だけではない
水をくむポンプには燃料がいる。治療食には運ぶ道路がいる。イエメン・タイズで同時に弱っている生活の仕組みを追う。

ARTICLE · 約5分
サウジアラビア、15歳時の抗議活動で死刑の危機。「未成年の死刑制限」に残された例外
未成年者の死刑を制限すると発表した国で、少年時代の行為をめぐる死刑の危険が続く。制度の例外と国連の判断を追う。

