JUSTER MEDIA ARTICLE

2026年9月26日 · 約5分

子どもを寒さから守る火が、子どもの肺を傷つける。モンゴル首都の冬

「石炭をやめればいい」では終わらない。氷点下30℃の街で、都市化・住宅・暖房網・貧困・地形が一つのスモッグをつくる。

0:000:00
A young child in warm clothing sits atop a Mongolian ger under a clear blue sky.

世界で最も寒い首都では、「暖房をやめる」が選択肢にならない

モンゴルの首都ウランバートルでは、冬になると街が白ではなく灰色に包まれる。

原因の中心にあるのが、郊外の「ゲル地区」で使われる家庭用暖房だ。ゲルは遊牧生活で使われてきた円形の伝統住居。首都の周辺にはゲルや簡易住宅が広がり、多くの世帯が中央暖房につながっていない。

2026年8月、UNDPはウランバートルの冬季大気汚染の60%以上がゲル地区の家庭で石炭を燃やすことから生じると説明した。

ならば石炭をやめればいい――と思うかもしれない。

しかしウランバートルの冬は氷点下30度を下回ることもある。暖房は快適さではなく、生きるための設備だ。中央暖房が来ない家で、安価で手に入りやすい石炭を燃やすことは、住民にとって「環境に悪い選択」というより「凍えないための選択」になっている。

なぜ、人口の約6割が中央暖房のない地区に暮らすのか

この問題は、煙突だけを見ても理解できない。

WHOによると、ウランバートルの人口のおよそ60%がゲル地区に暮らしている。ADBも、ゲル地区が約100平方キロに広がり、約84万人を抱えると説明している。

背景には急速な都市化がある。

社会主義体制の終了後、地方から首都への人口移動が進んだ。仕事、教育、医療などの機会を求めて移住する人が増える一方、上下水道や道路、暖房網を備えた住宅供給は同じ速度では増えなかった。

そこで首都の周縁に、自分の土地にゲルや小さな家を建てて暮らす地区が広がった。

つまり「石炭を燃やす家庭が多い」の前に、「都市の成長にインフラが追いつかなかった」という構造がある。空気の問題は、住宅と都市計画の問題でもある。

寒さ、貧困、住宅性能が石炭を必要にする

ゲル地区の暖房問題をさらに難しくするのが、家から逃げる熱だ。

世界銀行は、ゲル住宅では天井の開口部や壁・床・天井の接合部などから大きな熱損失が生じると指摘している。家が熱を保持しにくければ、同じ室温を保つためにより多くの燃料が必要になる。

これは単なる「古い暖房器具」の問題ではない。

断熱性能の低い家、中央暖房のない地域、厳しい寒さ、家計の制約が重なった結果、石炭への依存が生まれる。

環境政策ではしばしば「汚染する燃料をやめよう」と言われる。しかし代替暖房が高い、電力網の容量が足りない、住宅そのものから熱が逃げるという状況では、燃料だけを交換しても問題は終わらない。

大気汚染は煙突から出るが、その原因は煙突の中だけにはない。

しかも、山に囲まれた地形が煙を逃がさない

ウランバートルにはもう一つ不利な条件がある。地形と気象だ。

街は山々に囲まれた盆地にあり、冬には非常に冷たい空気が地表付近にたまりやすい。世界銀行は、寒さと弱い風による「逆転層」が、低い位置から出た汚染物質を地面近くの薄い空気層に閉じ込めると説明している。

同じ量の煙を出しても、風が強く拡散しやすい都市と、煙が街の上に残る都市では、人が吸い込む濃度が違う。

つまりウランバートルのスモッグは、石炭だけで作られているわけではない。

急速な都市化、暖房インフラの不足、住宅の断熱、所得、極寒、盆地という地形が重なって初めて、あの濃い冬の空気ができる。

一つの原因を取り除けば終わるタイプの社会課題ではない。

子どもは「外に出た時だけ」汚染を吸うわけではない

影響を強く受けるのが子どもだ。

UNICEFは、ウランバートルの最も寒い日にはPM2.5の日平均濃度が1立方メートルあたり687マイクログラムに達することがあり、子どもの健康への深刻な影響を指摘している。

汚染は外だけの問題でもない。暖房用ストーブは生活空間の中にあり、燃料を燃やす行為と家族の暮らしが同じ場所で起きる。

UNICEFによれば、高汚染地区で暮らす子どもは農村部の子どもより肺機能が40%低かったという研究結果もある。気管支炎や喘息、肺炎などとの関連も指摘されている。

ここにこの問題の残酷なところがある。

子どもを寒さから守るために火をたく。その火から出る汚染が、別の形で子どもの健康を傷つける。

「暖かい家」と「きれいな空気」が、同時に手に入りにくい家庭が存在する。

石炭を禁止しても、問題が消えなかった理由

モンゴル政府は何もしてこなかったわけではない。

ウランバートルでは2019年に家庭での生の石炭の使用を禁止し、より効率的に燃える加工燃料への転換を進めた。電気暖房、住宅断熱、暖房設備の改善なども試されてきた。

それでも2026年、政府、ウランバートル市、UNDPなどが改めて「石炭ベースの家庭暖房から、よりクリーンで手頃な暖房へ移行する」ための議論を行っている。

理由は、燃料を一種類変えるだけでは構造が残るからだ。

何十万世帯もの住宅を断熱し、電力網を強化し、暖房設備を更新し、低所得世帯でも払える料金にする必要がある。しかも冬の途中で実験に失敗すれば、住民の命に関わる。

環境政策で「正しい技術」が見つかることと、誰も取り残さず導入できることは別の問題だ。

これは「環境意識が低い人」の話ではない

ウランバートルの冬を見ると、社会課題を個人のマナーに置き換える危険がよく分かる。

石炭を燃やしている住民だけを見れば、「なぜ空気を汚すのか」と問える。

しかし視野を広げると、別の問いになる。

なぜ中央暖房が届いていないのか。なぜ都市人口の増加に住宅供給が追いつかなかったのか。なぜ家からこれほど熱が逃げるのか。電気暖房へ変えられる電力網はあるのか。低所得世帯は新しい設備を買えるのか。

個人の選択に見えるものが、実は選択肢の少ない社会構造によって作られていることがある。

日本では「大気汚染」と聞くと工場や自動車を想像しやすい。しかしウランバートルでは、家族が夜を越すための暖房が都市最大級の汚染源になる。

問題は「石炭を燃やすか、燃やさないか」だけではない。

寒さからも、汚染からも守られる家を、誰がどう作れるのか。その問いまで見ないと、この冬のスモッグは理解できない。

一覧を見る