ただの海の草じゃない。1,800万人の「見えない生活インフラ」だった。
海草藻場は、魚や炭素を守る自然だけではない。最新研究が初めて大規模に可視化したのは、そこに食料と所得を頼る何百万人もの暮らしだった。

海草藻場は、魚や炭素を守る自然だけではない。最新研究が初めて大規模に可視化したのは、そこに食料と所得を頼る何百万人もの暮らしだった。
海草を守る話だと思ったら、人間の貧困の話だった
海草藻場と聞いて、何を思い浮かべるだろう。
ジュゴンやウミガメ。魚のすみか。海に炭素を蓄える「ブルーカーボン」。自然保護に関心がある人なら、そんなイメージかもしれない。
ところが2026年9月、Nature Sustainabilityに発表された研究は、海草藻場のまったく別の役割を大規模に可視化した。
インド太平洋で、貧困状態にある少なくとも約1,800万人が、海草藻場を使って漁をしている可能性がある。そのうち約650万人は、海草藻場を唯一の漁場としていると推計された。
海の草原は、生き物のすみかであるだけではなかった。
何百万人もの人にとって、毎日の食事と収入を支える場所だった。
なぜ、貧しい世帯ほど海草に頼るのか
研究チームは、カンボジア、インドネシア、フィリピン、スリランカ、タンザニアの156の沿岸コミュニティを対象にした世帯データを分析した。
そこで見えたのは、所得と海草への依存の関係だ。
海草だけに依存する漁業世帯は、他の漁場も使う漁業世帯などと比べて、所得が平均で約23%低かった。さらに、購買力平価で調整した1日当たり所得が1国際ドル増えるごとに、海草だけに完全依存する可能性は約5.5%低くなった。
理由の一つは「入りやすさ」にある。
海草藻場は浅い沿岸部に広がる。場所によっては船がなくても歩いて入れ、高価な漁具がなくても魚や貝、ウニなどを採ることができる。
大型船や資本が必要な漁業に参加できない人でも利用しやすい。だからこそ、小規模漁業の中でも、選択肢の少ない世帯にとって重要になる。
「役に立つ自然」なのに、貧困から抜け出せるとは限らない
ここが、この研究で最も単純ではない部分だ。
海草藻場は人を支えている。だから「海草があれば貧困を減らせる」と考えたくなる。
しかし研究者は、そこまで単純な因果関係は示していない。
むしろ海草は、貧困から抜け出すための階段というより、今日を生きるためのセーフティネットとして機能している可能性がある。
近くて、道具が少なくても利用できる。その一方で、取れる魚介の市場価値が低かったり、より収益性の高い漁場へ行く資本がなかったりすれば、収入は上がりにくい。
「利用しやすい」という長所と、「低所得でもそこに留まらざるを得ない」という状況は、同時に存在しうる。
研究者は、これが社会生態学的トラップと整合する可能性を指摘しつつ、今回の分析だけで因果関係を証明したわけではないと慎重に説明している。
自然保護が、逆に生活を苦しくする可能性もある
では、海草を守ればすべて解決するのだろうか。
ここにも難しさがある。
自然保護では、漁獲を制限したり、人が入れない区域を設けたりすることがある。生態系の回復には必要な場合がある一方、その場所を毎日の食料に使っている人からアクセスだけを奪えば、最も貧しい世帯に負担が集中する可能性がある。
だから研究は、海草を守る政策に「誰がそこに依存しているのか」という情報を組み込む必要があると指摘する。
さらに、海草を傷つける原因は漁業だけではない。
下水、農地から流れる栄養分や土砂、沿岸開発、埋め立てなど、陸側から来る圧力も大きい。
漁師だけを規制しても、上流から海草が壊され続ければ問題は解決しない。
海の環境問題を、人間の生活から切り離さない
これまで海草藻場は、サンゴ礁やマングローブに比べて、貧困や開発政策の議論では見落とされがちだった。
しかし今回の研究が示した推計は、その見方を変える。
約1,800万人が貧困状態で海草を利用し、約650万人はそこを唯一の漁場としている可能性がある。
もちろん、この数字は人口を一人ずつ数えたものではない。研究対象地域の利用率と海草の近くに住む人口などを組み合わせた「規模の目安」であり、研究者自身も過大・過小評価の可能性を明記している。
それでも重要なのは、これまで政策上ほとんど見えていなかった人々が、数百万人単位で存在する可能性が示されたことだ。
自然を守ることと、人の暮らしを守ること。
別々の課題に見えて、実は同じ海草の上でつながっていた。
海草藻場を見るとき、次からは魚や炭素だけではなく、そこで今日の食事を得ている人の姿も想像できる。
世界は、そんなに単純じゃない。
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